新卒でブラック企業に入って、半年足らずでやめたけど一切問題ありません
学校を卒業してから入った会社をやめてしまうこと、最近ではよくありますよね。
私がまさにそうでした。
しかも自分で決めて入った会社ではなく、就活を途中で諦めた挙句、研究室の先生に紹介してもらって入った会社を約5ヶ月で辞めたのです。
周りの友人が次々と自力で内定を掴んでいく中で、夏休み間際になっても最終面接で落とされることを繰り返していくうちに、働くことへの恐怖ばかりが芽生えていきました。
考えてみると、仕事をする上で何を一番に叶えたいかをはっきりさせず、ただ志望している業界へ入れれば良い、としか考えていなかったため当然の結果でした。
入社してからはそれこそ地獄でした。
採用面接の時は優しい面接官も、上司になった途端急に人が変わります。
まあ会社は利益を追求する場所ですから、パフォーマンスが出せなければ怒るのは当然です。
しかし、私は当時まだ社会人経験もない21歳のガキでした。
食品工場に入社し、そのまま業務につきましたが、工場で作業をするのはとても楽しかったですし、力仕事も率先して行っていたので、我ながらよく働いていたと思います。
ただ、上司がブラック体質な場合、これだけでは満足されないのが常です。
工場のラインのほとんどを手伝いながら、合間で品質検査も行っていたのですが、
さらに新たな設備を構築するようにと命令されました。
新たな設備の構築なんて、莫大な費用がかかることですし、稼働にすぐに漕ぎ着けることはまずありません。
しかも繁忙期で人員を分けてくれることもなく、一人ですべて設置するように言い渡されました。
ここら辺がブラック企業の破綻している部分ですが、
自分はロクに業務を教えず、社員を現場でこき使い、それを研修と称し、
休みも週1日という環境で問題ないと信じています。
詳しい内容は別な記事で書きますが、結論からいうと5ヶ月で退職しました。
辞めたあとは第二新卒として転職活動を行い、1ヶ月で転職先が決まりました。
営業職でしたが、ノルマはなく、年間休日は120日以上で、外回りが終わったらコーヒーを飲んで一息つく日が、週に2〜3日あるような状態です。
今は結婚して退職しておりますが、約4年勤務しました。
約1ヶ月の転職活動で済んだのは、辛い環境にいる中で、自分にとって、一番やりたいことが何なのか、はっきりとわかったからです。
私の場合は、営業でした。
食品工場にいる時に、唯一尊敬できたのが、検査用の機器を販売する営業の方だったのです。
学生時代は研究室で実験を行っていましたが、その時は試薬の納品に来てくれる業者の人、としか認識しておらず、職業の選択肢に入れていませんでした。
しかし、実際に仕事を始めてみると、検査用の機器や試薬を販売する営業の方に相談することが多く、いなくてはならない立場の人であることが理解できました。
私は自ら新たな設備を構築したり、新規プロジェクトのリーダーを行うことは、到底できませんが、そういった人をサポートする仕事には非常に興味がありました。
学生の時は、主体的に行動を起こすことが、自分のやりたいことだと思っていましたが、実際には行動を起こす人を手助けし、成功させるために全力を注ぐことが、やりたいことなのだと再確認しました。
この軸がはっきりしたため、地元の商社に面接に行った際も、倍率20倍を勝ち抜いて採用されることに成功しました。
実際に面接でも、あなたが20数人いる候補者の中で最後の面接者です、と言われました。
このように、辛い経験を体験すると、必ず自分にとって興味があり、挑戦したいと思えることが出てきます。
外部の人との接触によって、私の場合は出てきました。
やりたいことというのは、他人が実際にやっているところを見ないと、生まれてきません。というよりも、他人を見て、徐々に自分の内面にある、やりたいことに気づいていくような感じです。
そのエピソードを整理して、面接で訴えることで私は、1社目の転職に成功し、その後いったん退職し、1年半のブランクのあとで2社目の会社にも転職しております。
2社目でも、過去の仕事の体験からやりたいことを整理して伝えることで、
面接官に納得してもらい、内定をもらうことができました。
仕事を半年足らずでやめてしまおうと考える場合、
大抵は状況が辛すぎるから辞めようと決意することが多いです。
そしたら嫌でも辛いことを排除するために考えまくります。
ストレスで危機的状況にあるため、現状を変えるために最適な回答が見つかり易くなります。
その時の気持ちや考えをわかり易く整理し、文章や言葉にすることが、次の職場を見つけるために重要となります。
内省の資質って実生活に何の役に立つのだろうか?
こんにちは。
本日はストレングスファインダーで、内省の資質が出てきてしまった人に向けて記事を書いていきたいと思います。
そもそも内省の資質を持った人とは、どのような人なのかと言うと、
単純に考える事が好きな人のようです。
私はとにかく考えるだけで特に何か行動に起こしたり、
誰かにその内容について話すことはしません。
ただ考えるだけです。
ストレングスファインダーで、最上思考とか、責任思考・競争性・コミュニケーションが出てくるとサラリーマン社会で非常に生きやすいのかな?と思ったりします。
私はIT企業のカスタマーサポートで仕事をしていますが、
内省の気質を持っていると辛いと感じる事が多々あります。
それは相手から言われたことに対して深く考え、細部まで自動的に処理してしまう事があるからです。
例えば、わからないことを上司に相談した時に、相手も忙しく、イライラとした口調で話をされたりするとします。
イライラされるのが嫌な私は、話かけるベストなタイミングを観察し、分析した上で上司に話かけるようにします。
どこを観察して、深く考え分析するのかというと、
どのような案件であればすぐに聞いても良いか?
逆に少し時間に余裕を持って確認しても良い内容はどれか、
上司の反応を見て振り分けを行います。
ちなみに上司のイライラは、話し方や、手つき、目つき、また困ったことに空気でも感じ取ってしまいます。
最近気づいたことなのですが、イライラしている人の空気に当たってしまうと、息をすることすら困難になってしまい、その余韻も残っているため、非常に大きなダメージを受けてしまいます。
その中で仕事をしていると、重労働をしている訳でもないのに、朝起き上がるのがきつくなるほど疲労感が残ってしまいます。
ここまでダメージを受けてしまうので、とにかく危険を避けようと、
受け取った情報から深く考え、次に同じような目に合わないように分析するのです。
私にとって内省の気質は、同じダメージを繰り返さないための防御策として役に立っているようです。
しかしながら、どんなに防御策を考え実践したとしても、長時間プレッシャーのかかる空間にいるのは限界があります。
気をつけていてもミスを起こしてしまった場合、その時には内省によって作り出した防御策も役には立ちません。
しかもミスを起こした事で、その内容についても延々と内省してしまうため、ダメージを二重に受けてしまう事があります。
ここまで書いていくと、やはりプレッシャーを感じ、それがストレスになってしまう環境と内省の気質は相性が最悪なようです。
私のように防御のために内省を使ってしまっている人は、本来の良い面である、
深く考えることを楽しめることに使い道を変えていくことをおすすめします。
そのためには、自身にとって辛いと感じてしまうような、嫌なプレッシャーやストレスがかかる場所は避ける事を、良い事とプラスに考える必要があります。
プレッシャーに強く、深く考え込まない人もたくさん世の中にはいます。
実際に、私の勤務先にはそのような気質の人が多いです。
そう言った種類の人が多く所属している会社には、自分は合わないと考え、そこにいるのが辛いのであれば、場所を変えていくべきです。
自分のために深く考えることを楽しむのも、私は趣味の一種と考えていますので、
心が健康でないと、最悪それ自体もできなくなってしまいます。
深く考える事が楽しめる「内省」を是非生かして、守りではなく、攻めに使い、人生を豊に生きていくことに使っていけたら良いと思います。
自己紹介
このブログは、無駄の少ない転職活動の始め方や、
英語が全く理解できないから→中級者へのレベルアップの方法、私なりに実践しているミニマリズムなどについて書いていきたいと思います。
まず軽く私のこれまでの経緯についてご紹介させて頂きます。
中学時代、全く勉強ができず、偏差値40の底辺高へ入学し、
その後、なんとか地元の公立大学へ入るものの、勉強や将来のことを考えるのに取り組まず、怠けまくってしまったおかげで就活は失敗。
とりあえず、コネで地方の会社に入社するも上司のパワハラと長時間労働が耐えきれず約5ヶ月で退職。
自分は社会不適合者なのだと一度は絶望したものの立ち直り、1ヶ月の転職活動を経て、地元の商社へ営業職として入社。
そこでようやく職場環境に恵まれ、ぬくぬくとした生活を手に入れましたが、
その安定をわずか4年足らずで自ら手放してしまいました。
それはなぜか?
幸運なことに現在の夫が1年間、東南アジアに移動することになり、それについていくことが出来たからです。
営業の仕事は、確かにぬくぬくしていたけれど、同時に変化のない日々にも鬱屈し、
些細なことですぐにキレるほど精神の安定は欠いていました。
また、信頼していた上司が退職してしまい、のしかかってきた重い責任に体が耐えられなくなってしまっていました。
東南アジアに行って生活すれば、その後の人生でやりたいことが見つかるはずだ!
と根拠もなく思い、人生初の海外生活へ他力本願な期待を抱いてきたものの、
現実は理想通りではありませんでした。
英語が喋れないことへコンプレックスを感じ、現地で友達が出来ないことや、うまく生活に馴染めないことで、せっかく手に入れた海外生活に価値を感じることが出来ない日々が続きました。
海外生活に慣れても、日本に戻ってきたときのことを考えて常に不安になっていました。
今思えば、将来への不安が大きすぎることから、目の前のことを全く楽しむことが出来ない事が原因でした。
しかも不安だらけの日々の中、国内の転職エージェントと連絡をとりながら、
しっかり転職活動をしちゃいました。
あんなことは日本に帰ってからでも十分間に合ったと思います。
早すぎる準備の結果、1年半のブランクはあってもすぐに転職先は決まりました。
それが今の職場です。
半年が過ぎようとしますが、仕事の覚えは同期よりも悪く、仕事内容には全く適性がないことだけがわかってきました。
また転職活動をしようとしています。
ここまで私の経緯となりますが、今までの人生の中から自分なりに、ミニマリズムや英語の勉強などを取り入れて、なんとか生きてきた方法を書いていきたいと思います。
少しずつ紹介し、一人でも多くの人に読んでいただければ幸いです。
差し入れの乳飲料からは味がしなかった
上司が初めて残業中に差し入れをくれた。
けれど厳密にいうと、それは私に対して渡したかったものではない。
正確には私の同期をねぎらうために一緒に渡してくれたものだったのだ。
私は今、システム会社のテクニカルサポートの部署に所属している。
しかし、私はテクニカルサポートの仕事をしていない。
顧客からくる問合せの電話をひたすらとって、聞いた内容を記録するだけだ。
この会社にはいって半年が経過した。
本来であれば、顧客から聞いた内容を記録する仕事ではなく、
記録された内容について対応し、答えていく仕事をしている時期である。
同期はすでに聞いた内容について周囲の先輩にアドバイスをもらい、
試行錯誤しながら顧客からの問合せに答え、立派な戦力となっている。
しかし、私は何をしくじったのか、いまだに入社当時の仕事をこなしている日々だ。
電話受付の時間が過ぎれば、電話はこないので残業は発生しない。
そんな中で、上司は差し入れを持ってきたのだ。
ビニール袋に入ったチョコ菓子と、ヨーグルトドリンクを見て、とっさに私は上司と同期に対して謝った。できる仕事が少なくて申し訳ないと。
突っ返すことも遠慮することも、受け取って喜ぶこともできなかった。
上司はいつも夜遅くまで残業をしている同期を労いたくて差し入れを持ってきたのだ。
ただ物を渡すという行為を社内で行うには、平等である必要がある。
だから私にも回ってきたのだ。
受け取った時、礼儀として一息でドリンクを飲み干してみた。
疲れていて甘い物はとても美味しく感じられるはずなのに、味を感じることはできず、飲み終わった後は、ただひたすら口の中にはなんとも言えない苦味だけが残った。
繁忙期を乗り越えたらこの会社から出よう、心からそう思った。
臨機応変という名の無理ゲー
私は、臨機応変に行動する事がとにかく苦手だ。
この事実に気づいたのはつい最近の事である。
しかも周りの人間に指摘されてようやく気がついたのである。
元々、マルチタスクは得意な方だと勝手に思い込んでいた。
なぜなら今まで、ルート営業ではあったけれど、それなりの営業マンとして仕事を4年近くこなして来れたからだ。
この時は毎日、見積書を作りながら、その日の納品物を確認し、メールの返信を行い、顧客から掛かってくる電話にテンポよく対応していた。
紙にタスクを書き出して、それを一つひとつペンで消していく作業は非常に快感だったと思う。
しかし、1年近くのブランクを明けてから転職で入社した会社では、
前の会社のように臨機応変に仕事が全くできなくなっていたのだ。
今の仕事はテクニカルサポートで、一番簡単な対応を行う部署に私はいる。
電話をとって、問合せの内容を文字で書き起こし、それを別の部署の人が見て、私の代わりに対応をしてもらうのだ。
とにかくたくさん電話をとり、すばやく問合せの内容を文字に起こさなければならない。書いていると「この文章で本当に対応する人がわかってくれるのだろうか?」と不安と恐怖を感じてしまう。
誰にでも理解できる文章でなくては、私の仕事は0点なのだ。
上司が間違いを指摘する時、苛立ちの感情を出しているのが目に見えてわかってしまう。私にはこの時間がたまらなく嫌で恐ろしい。
そう、電話をとって、その内容を正しく文字に起こす、という仕事は簡単かもしれない、けれど一つでも間違いがあれば0点を付けられてしまう、非常にプレッシャーのかかる仕事なのだ。
このプレッシャーの中で、資料発送や別な問合せ対応を頼まれて、頭を切り替えなければならないことは非常にきついものである。
電話を取ることだけに集中したい、1本の内容を文字に起こしてから次の電話をとりたい、といつも思ってしまう。
けれど、あまりにも問合せが多い状況の中、1本ずつ内容を起こしてから次の電話を取る、という行為はやる気のない人間とみなされるものになる。
このような状況で働いていると、結局のところ、臨機応変に動くためには恐怖を取り除かないといけないのでは?と考えてしまう。
1つの事を行うのであれば、気持ちが恐怖で硬直していてもミスが少なく仕事もできると思う。けれど、恐怖さえなければ1つの事以外も、勇気を持って動けるのではないかと思う。
動く前に気楽に人に確認ができる事、ちょっと間違えても周りがフォローしてくれる事、臨機応変に動くことを命ずるのであれば、命ずる側もこのような環境を作っていくべきなのではないか?と思うのだ。
結論はプレッシャーをガンガンかけてくる環境で臨機応変に動け、と言われても、
とてつもなく無理ゲーだよ!って話。
そんな環境で長くは働けないよな・・・と思う。
この環境は私にとってはものすごくきついのだと思う。
けれど逆にこの状況を利用してやって、自分が得意な事・苦手な事を明確にし、
次の仕事を見つけるための踏み台にしてやろうと思う。
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このブログは、無駄の少ない転職活動の始め方や、
英語が全く理解できないから→中級者へのレベルアップの方法、私なりに実践しているミニマリズム、自己分析などについて書いていきたいと思います。
軽く私のこれまでの経緯についてご紹介させて頂きます。
中学時代、全く勉強ができず、偏差値40の底辺高へ入学し、
その環境の中で勉強をしないことはおかしい!?と気付き、なんとか地元の公立大学へ入るものの、周りに流され怠けまくってしまったおかげで就活は失敗。
とりあえず、コネで地方の会社に入社するも上司のパワハラと長時間労働が耐えきれず約5ヶ月で退職。
自分は社会不適合者なのだと一度は絶望したものの立ち直り、1ヶ月の転職活動を経て、地元の商社へ営業職として入社しました。
そこでようやく職場環境に恵まれ、ぬくぬくとした生活を手に入れた。
しかし、その安定をわずか4年足らずで手放しました。
それはなぜか?
幸運にも、現在の夫が1年間、東南アジアに移動することになり、それに私もついていくことが出来たからです。
営業の仕事は、確かにぬくぬくしていたけれど、変化のない日々に鬱屈し、些細なことですぐにキレるほど精神の安定は欠いていました。
東南アジアに行って生活すれば、人生で本当にやりたいことが見つかるはずだ!
と根拠もなく思い、人生初の海外生活へ他力本願な期待を抱いてきたものの、
現実は理想通りではありませんでした。
英語が喋れないことへコンプレックスを感じたことを皮切りに、現地で友達が出来ないことや、うまく生活に馴染めないことで、せっかく手に入れた海外生活に価値を感じることが出来ない日々が続きました。
ようやく海外生活に慣れても、今度は、日本に戻ってきたときのことを考えて不安になっていました。
今思えば根底に、将来への不安が大きすぎることから、目の前のことを全く楽しむことが出来ない気質を私が持っていたと思います。
不安だらけの毎日の中でも、しっかり転職活動はしちゃいました。
あんなことは日本に帰ってからでも十分間に合ったと思います。
早すぎる準備の結果、1年半のブランクはあってもすぐに転職先は決まりました。
それが今の職場です。
半年が過ぎようとしますが、仕事の覚えは同期よりも悪く、今の仕事内容には全く適性がないことだけがわかってきました。
また転職活動をしようとしています。
このブログでは私がこれまで会社を辞めようと思ったきっかけや、
転職活動での経験、海外生活のノウハウなどをご紹介していきたいと思います。